
現代の分析科学において、微量元素の正確な定量は、環境・食品・医薬品・半導体産業をはじめとする多くの分野で不可欠です。その中でもICP-MS(誘導結合プラズマ質量分析装置)は、ppt(pg/L)レベルの超微量元素分析を可能にする高感度分析手法として広く採用されています。しかしICP-MSは非常に精密な分析機器なので、分析対象になる試料マトリックスの影響を考慮しなければなりません。またICP-MSはかなり高額な機器なので、コスト管理にも気を配る必要があります。
そこで本記事では、ICP-MSの基本原理から用途別の選び方、主要メーカーのモデル比較、導入時の注意点までを詳しく解説します。あなたの用途にピッタリなICP-MSを選択できるようサポートしますので、ぜひ参考にしてください。
分析計測ジャーナルでは、最適なICP-MS選びに関するご相談を受け付けております。お気軽にお問い合わせください。
ICP-MSとは?基本原理と特徴

画像出典:Thermo Fisher Scientific 公式サイト
ICP-MS(Inductively Coupled Plasma Mass Spectrometry, 誘導結合プラズマ質量分析)は高温プラズマを用いて試料をイオン化し、質量分析計(MS)を用いてイオンを分離・検出する分析技術です。ICP-OES(誘導結合プラズマ発光分光分析)が元素の発光スペクトルを測定するのに対し、ICP-MSでは各元素をイオン化し、質量電荷比(m/z)を基に分離・定量を行います。このため、ICP-MSではpptレベルの極微量元素を定量できます。
ICP-MSの測定フローは以下の通りです。
1.試料導入
液体試料をネブライザーで微細なエアロゾルに変換し、キャリアガス(アルゴン)とともにプラズマへ導入。
2.イオン化
約10,000Kの高温プラズマによって試料中の元素が完全にイオン化。
3.イオン抽出
サンプルコーン、スキマーコーンを通じて真空中へ導入。
4.質量分離
四重極(Quadrupole)・飛行時間型(TOF)・磁場型(Sector Field)などの質量分析計を使用して各元素をm/zに基づいて分離。
5.検出・定量
イオン検出器で各元素の濃度を計測し、定量値を算出。
このように、ICP-MSは高温プラズマによる完全イオン化と、高精度な質量分析による分離・定量を組み合わせで、極めて高い感度と低い検出限界を実現しています。
ICP-MSのメリットとデメリット

ICP-MS(誘導結合プラズマ質量分析)は、超微量元素の高感度測定が可能な分析技術であり、環境、食品、医薬品、半導体など幅広い分野で利用されています。しかしその高度な性能を最大限活かすには、用途に応じた適切な機種選定と運用体制の構築が大切です。
この章では、ICP-MSのメリットとデメリットを詳細に解説し、導入・運用時に考慮すべきポイントを明確にします。
ICP-MSのメリット
まずはICP-MSのメリットから見ていきましょう。
pptレベルの超微量分析が可能
ICP-MSの最大のメリットはppt(pg/L)レベル、場合によってはppq(fg/L)レベルの極微量分析ができることです。ICP-OESの検出限界がppb(µg/L)レベルであるのに対し、ICP-MSの感度は1000倍以上。そのため水質分析、医薬品中の不純物管理、半導体の超高純度分析など、極めて低濃度の元素分析が求められる分野で優れた性能を発揮します。
多元素同時分析が可能
ICP-MSは、一度の測定で最大50~70種類の元素を同時に定量できます。例えば、環境試料や食品試料の微量金属分析では、鉛(Pb)・カドミウム(Cd)・ヒ素(As)・水銀(Hg)などの重金属を一括して分析できます。
AAS(原子吸光分析)では元素ごとに個別の測定が必要なため、ICP-MSの多元素同時分析は、短時間で大量の試料を処理できる点で大きなメリットといえるでしょう。
干渉を除去する最新技術(コリジョンセル & リアクションセル)
最新のICP-MSでは「同重体干渉」や「多原子イオン干渉」というスペクトル干渉を除去する技術が搭載されています。
① コリジョンセル(ヘリウムモード)
コリジョンセルとは、不活性なヘリウムガスによる物理的な衝突で干渉イオンのエネルギーを減少させる技術です。この技術により、干渉を除去した正確な測定ができます。コリジョンセルは環境試料、食品、医薬品などの一般的な試料で利用されることが多いです。
② リアクションセル(反応ガス)
リアクションガスとは、H₂・O₂・NH₃などを用いて干渉イオンを選択的に化学反応させ、測定対象元素と分離する技術です。放射性元素、同位体比測定、超微量元素分析で利用されます。
このような干渉除去技術の発展により、以前は測定が難しかった元素も正確に分析できるようになりました。
アイソトープ比測定が可能
ICP-MSは、同位体の質量差を利用して放射性同位体や安定同位体の測定ができます。この機能は、環境トレーサビリティ研究、地質学、法医学などの分野で活用されています。具体的には、ストロンチウム(Sr)・ウラン(U)・鉛(Pb)の同位体比測定、鉛(Pb)の鉛同位体比(206Pb / 207Pb / 208Pb)による鉱床の起源分析などです。
高いダイナミックレンジ(広い濃度範囲の測定が可能)
ICP-MSは、pptレベルからppmレベルまでの広い濃度範囲をカバーできるため、濃度の異なる試料を一台の装置で測定できるのが強みです。例えば、環境水の微量金属測定と、工業排水中の高濃度金属測定の両方を1台でこなせます。
測定スピードが速い
ICP-MSは、1回の測定にわずか数秒〜数分で多元素を同時分析できるため、AAS(原子吸光分析)よりもはるかに短時間で大量の試料を処理できます。また、ICP-OESよりも試料の前処理がシンプルな場合が多く、測定プロセスの効率化が図れることもメリットの一つです。
ICP-MSのデメリット
ここまでメリットについて見てきましたが、ICP-MSにはいくつか無視できないデメリットも存在します。
導入コスト・運用コストが高い
ICP-MSの装置価格相場は2,000万円〜5,000万円。高性能モデルでは7,000万円以上になることもあり、ICP-OES(~3,000万円)やAAS(数百万円単位)に比べて非常に高額です。
また、ランニングコストとして、
- アルゴンガス費用(年間数十万円~100万円程度)
- 消耗品(コーン、トーチ、ネブライザー)の定期交換
- 真空ポンプのオイル交換・メンテナンス費用
- 冷却水(チラー)や排気装置の運用コスト
が発生し、ランニングコストが大きいのもデメリットです。
ランニングコストといえば、メンテナンスコストも無視できません。ICP-MSは、定期的なクリーニングや消耗品の交換が必要であり、
- サンプルコーンやスキマーコーンの塩析出の除去
- ネブライザーやトーチの交換
- 真空ポンプのオイル交換
などの作業を怠ると、測定精度が大きく低下します。
試料マトリックスの影響を受けやすい
ICP-MSは、海水・食品抽出液・血液などの塩濃度が高い試料では、プラズマの安定性が低下しやすいという問題があります。特に、Na・K・Caなどの高濃度マトリックスはイオン化効率に影響を及ぼし、定量精度を低下させやすいです。このため、適切な希釈やマトリックス除去が必要になり、測定プロセスが複雑化するというケースもよくあります。
干渉の影響を受けやすい
ICP-MSでは、
- ArO⁺(m/z 56)が鉄(Fe)と重なる
- ClO⁺(m/z 51)がバナジウム(V)と重なる
という多原子イオン干渉が発生しやすいため、干渉除去技術(コリジョンセル・リアクションセル)が必須です。しかし、このような干渉除去には追加のガス供給や、最適な測定条件の設定が必要であり、運用の手間が増えます。
ICP-MSの用途別の選び方

画像出典:アズサイエンス株式会社 公式サイト
ICP-MSは高感度・高精度な元素分析を可能にする装置ですが、用途によって最適なモデルや仕様が異なります。例えば、環境分析では水質や土壌中の重金属測定が求められるのに対し、医薬品分野では極微量の不純物管理が必須です。そのため、導入にあたっては目的に適したICP-MSを選定することがポイントです。
そこで本章では、主要な用途ごとに求められる性能について解説します。
環境分析向けICP-MSの選び方
環境分野では、水質・土壌・大気中の微量金属測定が主な目的となります。特に飲料水基準・環境基準を満たすための重金属(Pb, Cd, As, Hg)分析には、厳格な精度が必須です。そのために性能としては以下の項目が挙げられます。
- pptレベルの高感度測定
環境基準値が非常に低いため、ppb~pptレベルの測定精度が必要。 - マトリックス耐性の高さ
土壌や地下水試料は、マトリックスの影響を受けやすいため、干渉除去機能(コリジョンセルやリアクションセル)が重要。 - 多元素同時分析の効率性
水質や土壌試料の迅速な分析のため、ハイスループット性能が求められる。
食品・農業分野向けICP-MSの選び方
食品・農産物の安全性評価のため、ICP-MSは重金属や必須ミネラルの定量分析に活用されます。海外対応製品を扱っているのであれば、EUやCodex基準に基づく食品中の鉛(Pb)・ヒ素(As)などの検査が求められます。
- 高い精度と再現性
食品の安全規制に対応するため、測定の信頼性が重要。 - 短時間での多元素測定
食品分析はハイスループットが求められるため、迅速なデータ取得が可能なモデルが適切。 - 食品マトリックスの影響を抑える干渉除去機能
有機成分が干渉しないよう、コリジョンセル搭載モデル推奨。
医薬品・バイオ分析向けICP-MSの選び方
医薬品やバイオ医療分野では原薬・添加剤・製剤の金属不純物管理が必要です。
- 超微量分析能力(pptレベル)
医薬品の金属不純物基準は厳格なため、高感度モデルが必須。 - 法規制対応
USP、ICH、EP(欧州薬局方)に準拠できる装置を選定。 - 生体試料の分析対応
血液・尿・細胞培養液の微量金属分析にも対応可能なモデルが理想的。
半導体・材料分析向けICP-MSの選び方
半導体や高純度材料の製造では、pptレベル以下の金属汚染管理が求められます。特に、シリコンウェハーや超高純度薬品の分析には、超高感度ICP-MSが必要です。そのために以下のような性能が求められます。
- 超低濃度(ppt~ppqレベル)の金属分析が可能な高感度モデル
- クリーンルーム対応が可能なシステム設計
- アイソトープ比測定機能(高精度な不純物管理向け)
主要メーカーのICP-MS製品比較

ICP-MSを提供するメーカーは複数存在し、それぞれが独自の技術や強みを活かした装置を開発しています。分析の目的や運用コスト、データ管理の要件などに応じて適切な装置を選ぶことはとても大切です。
ICP分析装置を提供するメーカーの中でも、特に高いシェアを持ち、多くの研究機関や企業で採用されているのが
- Agilent Technologies
- Thermo Fisher Scientific
- PerkinElmer
- Shimadzu(島津製作所)
といった企業です。それぞれの会社のカラーや製品の特徴について簡単にまとめました。
Shimadzu(島津製作所)
Shimadzu(島津製作所)は、日本国内におけるサポート体制が充実している点が大きな強みです。予防保守プログラムを活かして定期メンテナンスを最適化し、装置の安定運用を支援しています。そんなShimadzuの現行モデル「ICPMS-2040/2050」は、低コストで導入しやすい点が特徴です。干渉除去技術「Octopole Reaction System」は、試料マトリックスの影響を最小限に抑えた正確な測定を実現しました。
データ管理機能の面ではFDA「21 CFR Part 11」に準拠し、測定データの改ざん防止や履歴管理機能を強化。クラウド連携にも対応し、データの遠隔管理ができます。特に、医薬品や環境分析分野では、厳格なデータ完全性の確保が求められるため、規制対応の観点でも信頼性の高い装置といえるでしょう。小規模ラボや大学研究機関での導入実績が多く、省エネルギー設計により運用コストの低減にも貢献しています。特に、水質分析や食品・農業試料の測定に適したモデルとして高い評価を得ています。
Agilent Technologies
Agilent Technologiesは、ICP-MS市場で非常に高いシェアを誇るメーカーであり、特に環境分析や食品・医薬品分野での規制対応を強みとしています。同社のICP-MSは、ヘリウムコリジョンセル技術を搭載し、スペクトル干渉を最小限に抑えた高精度な測定を実現しました。また、ソフトウェア「MassHunter」による直感的な操作性を実現し、初心者でも扱いやすいシステム設計が施されています。
「8900 QQQ ICP-MS」は、トリプル四重極(QQQ)技術を搭載し、アイソトープ比分析をはじめとした高度な研究用途に適した装置です。特に、放射線管理や製薬業界での厳格な分析に活用されています。
Thermo Fisher Scientific
Thermo Fisher Scientificは、質量分析技術に特化したメーカーであり、特に磁場型ICP-MS(HR-ICP-MS)を提供している点が特徴的です。ELEMENTシリーズは、半導体業界で標準的に採用されているモデルであり、ppt以下の極微量分析が求められる分野において高い評価を得ています。堅牢な装置設計と優れたデータ管理機能を備えているため、長期間にわたって安定して運用しやすい設計です。
「ELEMENT」は、高分解能磁場型ICP-MSであり、ppt以下の極微量分析が可能なモデルです。半導体産業での金属不純物管理において広く採用されており、超高感度な測定が求められる場面で活躍します。
PerkinElmer
PerkinElmerは、ランニングコストの削減に重点を置いたメーカーです。「NexIONシリーズ」は、トリプルコリジョンリアクションセル技術を搭載しており、食品や医薬品分析において高精度な測定を実現しています。
なかでも「NexION 5000」は、トリプルコリジョンリアクションセルを搭載し、食品安全や医薬品分析の分野で高い信頼性を誇ります。世界で初めてのマルチ四重極システムにより、比類ないスペクトル干渉の除去、優れた感度、卓越した検出下限を実現しました。低メンテナンス設計により、長期的な運用コストを抑えられるのも特徴です。
ICP-MS導入のポイント

ICP-MSは、超高感度・高精度な元素分析を可能にする装置ですが、単に性能が高い機器を導入するだけでは、効率的な分析業務を実現することはできません。装置の特性に加え、
- 試料の前処理
- 干渉除去技術
- ランニングコスト(メンテナンス含む)
- サポート体制
など、総合的な視点で導入を検討しましょう。本章では、ICP-MS導入に際して考慮すべきポイントについて詳しく解説します。
分析の目的と測定対象の明確化
ICP-MSを導入する際、まず重要なのは「何を測定するのか?」を明確にすること。最適な機種選定のポイントは以下の通りです。
測定対象の元素と必要な感度
- pptレベルの高感度測定が必要か?(水質・環境分析、半導体不純物分析など)
- アイソトープ比測定が必要か?(地球化学研究、放射性物質分析など)
- 複数元素の同時測定が必要か?(食品・医薬品業界での重金属スクリーニングなど)
試料マトリックスの影響
- 環境試料(河川水、土壌)
マトリックスの影響を受けやすいため、干渉除去機能が必須。 - 食品・生体試料
有機成分が多く含まれるため、適切な前処理が必要。 - 半導体・ナノ材料
超高純度分析が求められるため、高分解能ICP-MSが適切。
試料の特性に応じた装置の選定が、正確な分析結果を得るための鍵です。
前処理の最適化(サンプル調製の重要性)
ICP-MSは高感度な分析が可能ですが、試料の前処理が不適切だと、安定した測定結果が得られません。特に、試料中のマトリックス成分や、装置への負担を最小限に抑えるために、適切な前処理が必須です。測定精度をアップさせるために、例えば水質や土壌環境試料であれば酸またはフィルタリング処理を、半導体材料なら超高純度試薬を使ってバックグラウンドを抑制するようにします。
干渉除去技術の選定(コリジョンセル、リアクションセル)
ICP-MSでは、測定対象の元素と干渉を考慮したうえで適切な干渉除去を行います。特に、食品や環境試料の分析では、コリジョンセル(ヘリウムモード)が一般的ですが、より高度な干渉除去が求められる場合は、リアクションセルやQQQ(トリプル四重極)モデルが推奨されます。
ランニングコストと維持管理
ICP-MSは高性能な分析装置であるため、導入後の運用コストも慎重に検討しましょう。
アルゴンガスの消費量
ICP-MSは高価なアルゴンガスを大量に消費するため、消費量の少ない省ガス設計のモデルを選択することでランニングコストを抑えられます。
消耗品のコスト
使用ごとのメンテナンスを怠らないというのも重要ですが、消耗品が長持ちするタイプの製品を選ぶこともポイントです。メンテナンスという観点でいうと自動洗浄機能やセルフチェック機能搭載モデルは、運用負担を軽減できます。ただ、ICP-MSは真空ポンプを使用するため、定期的なオイル交換やメンテナンスが必要です。
導入後のサポート体制
ICP-MSは高額な分析装置であるため、メーカーのサポート体制も大切なポイント。具体的には、
- 定期メンテナンスや技術サポートの提供があるか
- トレーニングプログラムやアプリケーションサポートの充実度
- 日本国内でのサポート体制が整っているか
といった観点からチェックしてみてください。例えば、Shimadzu(島津製作所)やAgilent Technologiesは、日本国内での技術サポートが手厚く、導入後の運用支援が充実しています。
ICP-MSを導入する際は、装置のスペックだけでなく、運用コストや試料の特性を考慮し、総合的な視点で選定することが重要です。
まとめ

ICP-MSは、環境、食品、医薬品、半導体などの分野で不可欠な超微量元素分析装置です。装置選びでは、用途に応じて適切な機種を選びましょう。環境・食品分野ではコストとスループットのバランスが取れたモデル、医薬品・半導体分野では高精度な干渉除去機能を備えたモデルが適しています。
分析計測ジャーナルでは、最適なICP-MS選びに関するご相談を受け付けております。お気軽にお問い合わせください。

ライター名:西村浩
プロフィール:食品メーカーで品質管理を10年以上担当し、HPLC・原子吸光光度計など、さまざまな分析機器を活用した試験業務に従事。現場で培った知識を活かし、分析機器の使い方やトラブル対応、試験手順の最適化など執筆中。品質管理や試験業務に携わる方の課題解決をサポートできるよう努めていきます。
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